うちの家族と、カウンセラーの付き合いはおねえが中学生のときからです。
思春期とともに、自立への一歩を踏み出したおねえは、常にコントロールできるよう自分の支配下におこうとするなるくんとの対立を深めていきます。
当時のわたしは、思春期あるあるなのかしら?なんて思っていて、本当に悔やまれます。
そんな中、おねえが自傷行為をしていたことがわかり、学校のすすめで思春期対象のグループカウンセリングと個別カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーが少ないとかで、空きができるまでグループでのカウンセリングが主でした。
そこでは、
- 自傷したくなったときの、心の落ち着けかた
- パニック発作が出たときの、対処法
などを学べたところは、良かったと言っていました。
その後、カウンセラーとの個別セッションが始まったのですが、保護者同伴のセッションとなり、わたしが参加していました。
そこで語られる、おねえの父親へ思うこと、母親へ思うことを聞いて、反省することも多くありました。
なるくんは参加したことがありませんでした。わたしから、セッションで感じたことを伝えても、「ただのわがままだろ」なんて反応だったと思います。
ただ、おねえとしては、そのカウンセラーと相性がうまく合わず、行くのをやめてしまいました。
次にカウンセラーと出会うのは、コロナ禍のりんりん。
一気に、リモート授業に変わっていったのは、いいのですが教師も生徒も慣れない中、授業についていけなくなりました。もともとギフテッドとしてそれなりに自負もあったなか、なかなかに精神的にきつかったようです。
そんな中で自傷行為をしていたことが、定期検診でわかります。
これまた、オンラインでグループでのカウンセリングを受けつつ、週1で精神科の先生とカウンセラーと話をするというプログラムに参加しました。
そこでわかったのは、りんりんがADHDであるということ。
モニター越しではまずまず集中が無理ということでした。
その時点で、薬の服用が始まります。
そのプログラムから卒業するときに、ADHDの薬のこともあるので、新たに専門医につくこと。カウンセラーをつけることを指示され、オンラインでカウンセリングを受けることになりました。
このときも、りんりんとカウンセラーの相性がよくなくて、1年で解消しました。
すると、おねえが、自分もADHDかどうか見てもらいたいと言い出し、診察を受けることに。
その時点ですでに、鬱状態でもありました。後に、ADHD,PTSDの診断を受けることになります。
そのとき、精神科医から紹介されたのが現在のカウンセラーです。
とても気が合うようです。
そして、わたしのカウンセラーが登場。
離婚を、いよいよ決意した時点でりんりんにカウンセラーを見つけるのが最優先事項となりました。なにせ、なるくんが離婚に対して、どのように反応するかが予想つかないということがあったからです。そして見つけた人がいまのりんりんのカウンセラー。
こちらの状況、離婚を考えていること、伝えたときのなるくんの精神状態によっては、荒れることも考えられること、諸々を伝えてそのサポートをしてほしいとお願いをしました。りんりんは必要ないと言ってはいましたが、その後カウンセラーの人がいてよかったということが起こります。
オンラインのカウンセリングになって、通院時間を取られることなく、自由に車内からでも、自分の部屋からでも受けられる。
コロナ禍がきっかけでこれまで目に見えていなかった問題が見えるようになったと同時に、生活しやすく変われるきっかけにもなったと思います。