結婚20周年、満を持して離婚したいことを伝える結婚記念日。
たまたま、本当にたまたま、離婚を切り出そうとしたその日になるくんと娘たちで親子喧嘩を派手にやったらしい。
だから、わたし的にラッキーなことにあっさりと離婚が受け入れられました。
そして、当然、子どもたちはみいと一緒だろうと、向こうも納得していました。
もしかしたら、わたしがブラフで言っていると思って、思わず受け入れてしまったのかもしれませんが、そこから畳み掛けるように弁護士の連絡先まで伝えたわたしに、腰が引けていたのかもしれません。
ナルシストの強さは、ハリボテです。
押せば。もろいのです。
はじめは、「子どもたちに苦労はさせられないから」と、「りんりんが高校を卒業するまではこの家に住めよ。」なんて言っていたくせに。話は2転3転。このあたりはまた別の機会に。
離婚の話し合いが始まって、半月たったころ、りんりんのカウンセラーから連絡がありました。
「話があるから、次のセッションに参加してください。」
そのセッションの、2、3日前。
地下室の書斎で仕事をしていると、なるくんとりんりんが上の階で話している声が聞こえてきました。
なるくんの声は普段とても大きいので普通なら内容まで聞こえてくるはずなのに、声量を落としているらしく、よくわかりません。
階段下で耳を澄ましていると、りんりんの声で、「それは、わたしのせいじゃない」と言っています。
ああ、これはもめてるな。
どのタイミングで、出ていこうか。この頃のなるくんはわたしが子どもたちとの話に立ち会うのを嫌がるようになっていました。下手に介入すると、火に油を注ぐことにもなりかねなかったのです。
わたしが洗脳から覚めて距離をおいたことで、りんりんを次のターゲットにしたのではないかと懸念していた頃です。
そんなとき、おねえがバイトから帰宅。それも、トイレを我慢していたらしく、バタン!バタン!どどどどど!バタン!!とトイレに飛び込むその音、上の階の緊張感が切れたのがわかったタイミングで、上がっていきました。
二人がいたキッチンに入っていくとりんりんが涙目になっていました。
「なんで、りんりんが泣いてるの?」と聞くと、なるくん、「俺たちふたりとも泣いているんだ」って、君泣いてないけどね。
また、「オレオレ」俺を心配してパターンです。
りんりんには部屋に行くよう言って、逃がしました。
そこに、トイレから出てきたおねえが入ってきて、どれだけトイレに行きたかったのか話し始め、緊張を解くことができました。
もう、君、ナイスタイミング!!
その後、部屋に行ったりんりんから事情を聞きました。
コロナのせいでのびのびになっていた一時帰国を娘たちとしたとき、わたしの父が心臓の手術をしたすぐあとだったため、なるくんの同行をことわりました。
ナルシストから離れて、わたしたちは本当にリラックスした帰省をしていました。
そのときのことを持ち出して、「俺が自殺していたかもしれないんだぞ。」と16歳の娘を責めていたことがわかりました。
いや、そんなの未成年に言ってどうするつもり?
その時点で、娘たちをここにおいておけないと思いました。
「すぐに引っ越しをするから心配しないように」とりんりん伝えて行動開始。
なんと、翌日には良さげなコンドミニアムをみつけ、その2日後には娘たちと内見。
その日のうちに申し込んで、バックグラウンドの審査やクレジットの審査を翌日にはパスして、翌週末には契約書にサインすることになりました。
その間に、りんりんのカウンセラーとのセッションがありました。
なるくんの「自殺」云々は以前からあり、カウンセラーが心配してわたしと話をしたかったということだったようです。
つまり、遅かれ早かれわたしは引っ越しを決断してただろうな。あんな速さで、条件ぴったりの家が見つかり、ことが運んだのは、なるべくしてなったということなのかもしれません。
契約当日、家具も何も無い家でしたが、「もう前の家には戻りたくない」という娘たち。とりあえず買った娘たちのマットレスとわたしは簡易エアベッドを持ち込んで新生活が始まりました。
別居生活開始です。