あばら家のような日本家屋にて。
10人くらいの知らない人たちとわたしがいる。
そこに、3,4人のグループがやってきて、わたしたちを1か所に閉じ込めている。直接暴力を振るわれるわけでもないのに、みんなが怖がって外に逃げ出せずにいる。眼の前には、縁側があって、ふすまを横に立てかけてあるだけのわたしたちを閉じ込める障害があるだけ。
みんな、縁側から外に出たいと思っているのに、そこを飛び越える勇気がない。
閉じ込められている部屋の中では、わたしたちを閉じ込めた人たちによって、からかわれたり、脅されたり、ただただ部屋のあちこちを右往左往して逃げ惑う。
逃げ惑う中で、「そうだ、裏庭がだめなら玄関から出てみよう」と思いたち、みんなに声をかけてみるが怖くて動けない人たちがいる。
家の前には、押したら倒れそうな柵が3つあるだけ。家の周りにはパラパラと人がいるのですが、それが味方なのか、敵なのかもわからない。
そんな中、チャンスを見出して、玄関から一歩踏み出したのは、なぜか今までいなかったおねえとりんりんとわたしの3人だった。ドキドキしながら、1つ目の柵をのりこえてみる。誰も追ってこない。2つ目の柵も乗り越えてみた。もう心臓は最高潮にドキドキしてて、足が思うように前に出ない。心のなかでもがきながら、3つ目の柵を乗り越えてホッとする。
でも、なぜか足は元の家に戻ろうとするのです。
やっとの思いで逃げ出したのに、様子を見に行きたくなってしまうのです。
クリスマス明けから寝込んで、治っても体力の無さで起きたり寝たりしていた日々が続いていました。そのあいだ、本の虫の私は10冊ほど読破して、眼精疲労に肩こりまで背負ってしまいました。
この夢を見た翌日、たまたま読んでいた本のあとがきにこんな言葉がありました。
「人間は自分の不遇を嘆きつつも、未知の幸せに向かって行動するより慣れ親しんだ不幸のそばで生きていくほうが安心する生き物」
そうか、あの日本家屋は自分が慣れ親しんだ不幸の象徴だったんだ。
自分の味方は10人もいるのに、相手はたったの2,3人なのに、遮るのはただふすまを横に立てかけただけだったのに、そこから逃げ出せずに部屋の中で右往左往と逃げ惑うだけだった自分。
玄関から一歩出るのに、ものすごい恐怖を感じた自分。
柵を越えるたびに、足がすくんで動けなくなる自分。
戻ってはいけないと思う気持ちと、戻りたいと思う気持ちで動けなくなる自分。
「人間は自分の不遇を嘆きつつも、未知の幸せに向かって行動するより慣れ親しんだ不幸のそばで生きていくほうが安心する生き物」
まさにこれだ。おねえに言われた、「ママは、我慢して絶対離婚しないと思っていた」という言葉。カウンセラーに言われた、「初めの頃のあなたは、離婚を拒否していたように感じたわ」という言葉。
まさに、不幸のそばで安心していたのかもしれない。
そして、一歩踏み出したあとの今も、未知の幸せを前に足踏みをしている状態なのかもしれない。
夢でトラウマ追体験をするようになってから、カウンセラーに、憶えている限り夢で見たことを書き出していくようにと言われていました。
今回、なるくんの登場はありませんでしたが、なるほど、書き出してみるとやはり、私の抱えているトラウマと関係があるのだということに気づきました。
「未知の幸せ」のために、ここでもとに戻ってなるものか!